丁稚奉公から身を起こし、創業した靴下専門の卸問屋を一代で業界屈指の企業に育て上げた越智直正さんの修行時代の話です。

越智さんは中学卒業とともに15歳で故郷の愛媛を離れ、大阪の靴下問屋に丁稚奉公に入りました。

奉公先では、6畳1間に6人で住み、毎朝5時55分から深夜まで働き詰めでした。

大将には「アホ!」「ボケ!」と罵(ののし)られ続け、少しでもヘマをすれば火が出るようなビンタを喰らわされます。

おまけに越智さんは、四国出身で言葉も習慣も違うため、仲間から格好のいじめの対象となり、問題が起これば何でも責任を押し付けられてしまいます。

まるでサンドバッグにでもされたようなしごきの中で、越智さんは1人になるたびに「わしは男だ、わしは男だ」と繰り返し、溢(あふ)れてくる涙を懸命に堪(こら)えました。

休みなどほとんどなく、成人のお祝いに田舎に帰ることも許されませんでした。

お兄さんが結婚式を挙げることになり帰省を願い出た時には、「おまえが結婚するわけでもないのに、なぜ帰らねばならんのだ」と一蹴(いっしゅう)される始末でした。

しかし、人間というものは、痛めつけられるほどに理想が高くなるものです。

成人式の時に帰省の許しを得られなかった越智さんは、たった1人で自分の成人式を祝いました。

厳しいしごきの中でも、「わしはただの丁稚では終わらないぞ」という矜持(きょうじ)を心に打ち立てるとともに、「周りの先輩に負けてたまるか、わしはいずれこの靴下業界で一番になるんだ」という夢を抱いていたのです。

転機は突如訪れました。

奉公に入って13年経った28歳の時、越智さんは大将から、「弟を独立させるのでついて行け。計画書はおまえがつくれ」と命じられました。

何日も費やして作り上げ、大将に提出すると、場所を移して大将の弟に説明するように言われました。

その時に大将の弟から、「越智君は独立を望んでいたな」と聞かれ、

「はい、10年で独立させていただく予定でしたが、何も言われないので心配していました。一所懸命やりますので、あと5年くらいでいかがでしょうか?」と答えました。

しばらくすると、それを聞いた大将が血相を変えて駆け込んできて、

「おまえは恩を仇で返す気か。5年後に弟の会社を乗っ取るつもりだろう」と言われました。

いくら話の経緯を説明しても取り合ってもらえないので、越智さんは愕然として、

「そこまでおっしゃるなら、すぐに辞めさせていただきます」と啖呵(たんか)を切ってしまいました。

もちろん、独立の準備など何もしていませんでした。

ところが、そんな越智さんに2人の後輩がついてくるというのです。

越智さんは思い止まるように必死で説得しましたが、既に大将に辞めることを伝えていて、後の祭りでした。

越智さんは資金ゼロの状態から、奥さんと2人の従業員を抱えて事業を始めることになりました。

それからも幾多の試練を乗り越え、「靴下業界で一番になる」という夢を実現したのです。

越智さんは、これまでの人生を振り返って次のように述べています。

夢を持てば、その夢の通りになるのが人生。

自分は将来こうなりたいという具体的な目標がなければ、いくら勉強をしても何の役にも立ちません。

そして、志(こころざし)を立てることの大切さを説く先人の言葉を紹介しています。

「志立たざれば舵(かじ)なき舟 轡(くつわ)なき馬が如き」(陽明学の祖 王陽明)

「志なきは魂(たましい)なき虫に同じ」(幕末の志士 橋本左内)

本当の志を持てば、それが自分の精神になります。

易(やす)きに流れがちな自分を、こんなことをしていてよいのかと省(かえり)み、戒(いまし)める力になります。

そして、越智さんは最後にこんな言葉で締めくくっています。

確かに大将には辛(つら)い仕打ちをうけましたが、使い物にもならない若造を、大将のようにあそこまで労力を注いで指導できるかと己(おのれ)の胸に問えば、感謝の言葉しか浮かんできません。

いまは、大将が私をクビにしたのも、今日の自分に至らしめるためではなかったかとも思うのです。

大将にクビにされ、独立する以外に道がなくなったおかげで今日がある。

すべては私を幸せへと導くための神の采配(さいはい)、人生に棄物(きぶつ)はないことをつくづく実感するのです。

人間というものは皮肉なもので、幸せにつながる道であればあるほど、そのことに気づかずに嫌悪し、避けてしまう傾向があるようです。

若い人には、極楽に連なる道には般若の面があること、将来の幸せにつながる道ほど険しいことを肝に銘じていただき、自分を見くびることなく、夢を持ち、志を持ち、理想をもって歩んでいただきたいと思います。

(引用:『致知』12月号より)