ガリバーインターナショナル創業者羽鳥兼市さんの人生の転機
ガリバーインターナショナル(現IDOM)創業者の羽鳥兼市さんの人生を変えたタイミングは、次のようなものでした。
40年前のことになりますが、当時は義理の兄と羽鳥総業という重機会社を経営していました。
東北地方ではトップクラスの会社として利益も出して伸びていたのですが、人に騙されて手形詐欺に遭ったことから倒産してしまったんです。
すぐに債権者が押し寄せてきたため、本当に何もかもなくなりました。
義理の兄は海外に夜逃げしてしまったので、自分が家族親族合わせて11人を食わしていかなくちゃいけない。
しかも残された3億円の負債も全部自分が払わなくちゃいけないという状況にまで追い込まれました。
とにかく明日からどうやって食べていくかということになって、それなら自分は車が好きだから中古車販売を始めようと思いました。
姉さんから借りた2万円で、ディーラーからスクラップ同然の車を2台購入して、綺麗に磨いて売ろうと。
そこからのスタートでした。
ただ、会社を倒産させたことが恥ずかしくて、営業マンなのに人と会うことができない。
同級生に電話しても、倒産させた人間と親しくしたくなかったのでしょう。
「あぁごめん。いま忙しいから」の一言で切られてしまう。
その年の10月には「東京マイカー」という会社をつくったものの、そんな調子だから2か月たっても1台も売れなかったので、おふくろの生命保険を解約してもらって、それで生活していました。
そんな時に、会社の敷地にチンピラ風の男がやってきて、「ここに東京マイカーってあるけど、羽鳥がやってたんだよな」って聞いてきた。
「はいぞうです」と答えたら、おそらく自分が羽鳥の惣領だとわからなかったと思うんですけど、「あの羽鳥の奴ら、夜逃げしたんだってな」って言われたんです。
その瞬間、ぶわーって全身鳥肌が立ちました。
チンピラ風の人間に奴ら呼ばわりされたものだから、何かで脳天をガキーンと殴られた感じだったんです。
人間というのは、変わる時は本当に瞬間で変わるものです。
それまで人に良く思われたいとか、恥ずかしいとか思う弱い人間だったのが、一瞬にして逞しくなった。
こうなったらとことん借金を返して立ち直ってやる、っていう気持ちにスパンと変わった瞬間から車が売れ始めた。
これはおそらく日本記録どころか世界記録だと思うんですが、事務員もいない中たった1人で、1年で600台以上売りました。
あのガキーンと切り替わった瞬間、自分の人格から何から本当に全部が変わりました。
でも、もしあの一言がなかったら、きっと自分はダメ人間のまま終わっていたでしょう。
そう思うにつけ、その方は天使だったんです、自分にとって。
(引用:『致知』2017年3月号「覚悟が決まれば自ずと道は開く」より)
人は逆境を乗り越えることで成長し、逆境を乗り越えることができた時には必ずその逆境に対して感謝の念を抱くものです。