お酒を飲む量や時間を自分の意志でコントロールできなくなるアルコール依存症。

この病気の怖いところは、自分がアルコール依存症であることに気がつかず、家族や周囲の人も単に酒癖が悪い人だとみなしてしまい、治療が遅れてしまうことだそうです。

大阪のある断酒会の会長を務める男性が体験した症例です。

その男性がお酒が原因で最初に問題を起こしたのは、大学寮の新入生歓迎会で大量の飲酒をした時でした。

深夜に泥酔した状態でバイクに乗った男性は、タクシーと衝突事故を起こしてしまいます。

就職してからも、毎晩のように飲み歩くようになり、目を覚ませばいつも裸に近い状態で駅前や公園でひっくり返っているのですが、自分が何をしていたのか全く覚えていません。

その度に自責の念に駆られるのですが、現実から逃れるためにまた飲酒するという日々の繰り返しでした。

お給料はもらった日にすべて酒代に消え、借金は瞬く間に二百数十万円に膨れ上がりました。

両親に初めて借金を返済させたのはその二百数十万でした。

その後、大手運送会社に転職しましたが、収入が増えたことで気が大きくなり、飲み方は一層ひどくなりました。

29歳の時に結婚しますが、毎日泥酔して朝方に帰宅する、飲酒を注意されれば暴力をふるう、という状況が続き3年後に離婚しました。

結局、35歳の時に六百数十万の借金をつくり、「もうあかん」と、梅田のホテルにチェックインし、大量にお酒を飲み、屋上から飛び降りようと自殺を決心しました。

飲酒後、意識を失ってしまい、フロントからの電話で目を覚ました時には数日経っていました。

フロントには母親からの一通の封書が預けられており、現金と「誰もあんたを怒ったり責めたりしないから安心して帰ってきなさい」という手紙が入っていました。

死にきれず、その男性は母親に助けを求めました。

しかし、それでも飲酒が原因で借金を繰り返し、母親から「あんたを殺そうと思ったけど、あんたは私がお腹を痛めて産んだ子供やから、私の手では殺されへん。どうか頼むからもう自分で死んでくれへんか?」と頭を下げて頼まれました。

そして、2007年、遂に会社のお金を横領して逃亡生活に入りました。

もうどうなってもいい、金が亡くなったら死のうと、逃亡しながらお酒を飲み続けました。

大阪・ミナミのビジネスホテルで、飲み仲間からもらった睡眠薬とお酒を一緒に飲み自殺を図りましたが、意識を取り戻したときには府内の警察に保護されていました。

まもなく、母親が方々奔走してアルコール依存症を専門に治療する病院に入院することができました。

そして、相部屋になった方に断酒会の存在を教えてもらい、一緒に参加するようになりました。

初めて断酒会に行った時のことです。

当時の会長がその男性を見るなり、「よう来たね」と、笑顔で声をかけてくれました。

飲酒のことで虐げられることはあっても、「よう来た」と褒められる経験などなかった男性は、会長の温かい言葉が嬉しくて、「来週も来よう。断酒をやり遂げよう」と決意することができたのです。

内閣府の発表によれば、アルコール依存症患者は約109万人いるとされていますが、その中で専門的な治療を受けている人は5万人にも満たないとされています。

そのうちに、お酒の為に仕事ができなくなり無断欠勤が続いて会社をクビになる。

そして最悪の場合には自殺に至る事例も多くあるようです。

(引用:『致知』12月号より)