お好み焼きの「千房」創業者 中井社長の教え
お好み焼きチェーン店「千房」を創業した中井正嗣(まさつぐ)社長は、昭和20年に奈良県に生まれました。
中井さんは7人兄弟の上から5番目で、お兄さんやお姉さんは成績優秀でしたが、中井さんは勉強が嫌いで学業成績もあまり良くありませんでした。
中学卒業と同時に丁稚奉公(でっちぼうこう)に出された時には、もう勉強しなくてもよくなったことをラッキーだと考えていました。
奉公先の乾物店へ挨拶するため一緒に大阪へ出たお父さんは、「仕送りはいらんから自立しろ」と言って送り出してくれましたが、それが今生の別れになりました。
その年の秋にお父さんはがんでこの世を去てしまったのです。
中井さんが16歳の時です。
中井さんの3つ上のお兄さんからは、次のように叱咤激励されました。
市場で働いている人が10人いれば10人とも独立したいと思っているが、実際に独立できるのはナンバーワンの1人だけ。
そういう人の出した店は全国にあるけれども、独立して良かったと思っているところはさらに10軒のうち1軒。
つまり本当の成功者は100人に1人で、学歴も能力もない中井さんがそうなりたかったら、人の倍働けと。
中井さんはお兄さんの言いつけを忠実に守り、月に2日しかない休みも仕事に充てました。
奉公先の乾物店の移転で暇を出され、義理のお兄さんの営業する小さなレストランへ移ったのは20歳の時でした。
料理人としてのスタートが遅かった中井さんは、たたき上げの職人だった義理のお兄さんから徹底的に料理の基礎を仕込まれました。
義理のお兄さんのお世話になった2年半は、年中無休、始発から終電まで働き詰めの毎日でしたが、義理のお兄さんの徹底した指導のおかげで、その後修行のためによその店へ移った時には、ほかの職人たちが未熟に見えるほど力がついていました。
そんな義理のお兄さんから独立を勧められたのは22歳の時でした。
お好み焼き屋さんを営んでいた老夫婦が、開業資金ゼロの好条件でお店の経営を引き継ぐ人を募集していたのです。
最初はお好み焼きが単純な料理に思えて興味を持てませんでしたが、チャンスを生かそうとしない中井さんを義理のお兄さんは厳しく叱りました。
中井さんが面接を受けに行くと、運よく採用されたのです。
その後、6年目に家主の都合でその店を明け渡すことになり、取引先の信用組合へ相談に行ったところ理事長が3,000万円の融資をしてくれました。
理事長が若い中井さんに無担保で3,000万円もの大金を融資してくれたのは、中井さんがお兄さんの教えに従い、5円、10円というわずかな金額まで克明に金銭出納帳に記録してきたのを見たからでした。
こうして中井さんが28歳の時に創業したのが「千房」です。
お金を貯めるコツは使わないこと
中井さんのお兄さんは、中井さんがまだ乾物店に勤めている時に、こんな話をしてくれました。
ちめんじゃこを手に入れてもすぐに食べたらあかん。
それを餌にしてサバを釣ったら1日食える。
けれどもサバを食べずに餌にしてマグロを釣ったら、1か月食える。
それを我慢して、マグロを餌にしてクジラを釣れ。
クジラを釣ったら一生食える。
3日の哲学
中井社長は、次のようなことを述べています。
10年前のことを反省したり、10年先のことを計画したりするのは大変ですが、昨日のことを反省し、明日何をするかを考え、今日やるべきことを実行することは簡単です。
いっぺんに大きなことを成そうとするのではく、昨日の反省、今日の実行、明日の計画、この3日間を確実に繰り返していけばよいのです。
中でも大事なのが、「いま」。
いま目の前のことに精一杯取り組むことです。
そして、中井社長は努力は100%報われると断言しています。
ただし、そのためには、報われるまで努力することです。
(参考;『致知』9月号)
松下幸之助氏も、成功とは成功するまで続けることだと説いています。
「いま」を大切にすることの重要性も多くの成功者が語っています。