Aさんがハンセン氏病を発病したのは大学生の時でした。

青雲の志を抱いて上京し、希望通りの大学に入学した時に医者から瀬戸内海のハンセン氏病の療養所へ行くように言われました。

Aさんは「もう俺には勉強もない、成功もない。親兄弟に迷惑をかけるわけにはいかないから、故郷へも帰れない。誰にも知られずに死ぬしかない。」と思い悩んだ末、三原山の噴火口に飛び込むつもりで伊豆の大島に渡ったところ、三原山で自殺する人が多く、その頃から大島の港には警察が見張りをするようになっていました。

観光に来たのか自殺するつもりで来たのかは、その人の様子を見ればたいてい分かるらしく、怪しいと思うとずっと尾行してきます。

それでとうとうAさんも三原山には飛び込めませんでした。

しかし、自殺する気持ちに変わりはなかったので、乗船カードにデタラメの名前と住所を書いて、帰りの船に乗り込み、途中で東京湾に飛び込むつもりでいました。

船のデッキに立ってどの辺で飛び込もうかと思っていた時に、誰か先に飛び込み自殺をした人がいて、大騒ぎになりました。

船は停止し、救命ボートが下ろされて、緊迫した状況の中で乗客の人員点呼が始まり、だれが入水したのか確認するために、全員が調べられました。

Aさんは、そういう思わぬ事件が起こり、とうとう東京湾へ飛び込む機会も失ってしまいました。

そして、Aさんはハンセン氏病の療養所へ入所したのです。

しかし、その後も死ぬことばかり考えていました。

「こんなところで生きていたって、生きている意義などないじゃないか。

こんな病気になってまで、なんで生きていなければならないのか」

悩み苦しみ、どうして死のうか、どこの浜から入水しようか、どの木で首を吊ろうかと、そんなことばかり考えていました。

ただただ死ぬことばかり思い詰めていたのです。

そういう日々を送っているうちに、1か月経ち、2か月経ち、半年ほど経って、ようやく気持ちが落ち着いてきたころ、Aさんはこう考えるようになりました。

自分は不幸な病気にかかって、やむを得ずこの島に来た。

しかし、園長さんや大勢のお医者さん、看護婦さんたちはなぜここに来ているのだろう。

自宅にいれば開業医にもなれるし、立派な病院の院長にもなれるだろうに、不自由を承知で自宅を離れて、なぜわざわざこの島へ来たのか。

看護婦さんたちにしても、都会の病院に勤めていれば楽しかろうに、なぜ汚い膿(うみ)をふさぎ包帯を取り換えて、紫色にむくんだ腕に毎日注射してくれるのだろう。

聞くところによると、みんな親兄弟の反対を押し切ってこの島に来ているそうだ。

中には、二度と家の敷居をまたぐなと言われ、勘当されてまでここでお世話してくれている人もいるそうだ。

なぜだろう、なぜそうまでしてこの島にいているのだろうと考えて、Aさんはやっと気がついたのです。

お医者さんも看護婦さんも、みんな自分たちのために治療し、お世話してくれているのだ。

たとえ、病気を治すことができなくても、最後まで世話をしてあげよう、力になってあげようという、そんな大きな愛情をもって、家を捨て、自分を捨ててここに来ている。

社会から隔離された自分たち患者とともに住み、自分たちのために毎日毎日働いてくれている。

それなのに、自分は死ぬことばかり考えていた。

本当に済まないじゃないか。

もったいないじゃないか、ありがたいじゃないか。

そう思えば、昔と違ってこんな立派な病院に入れてもらい、それぞれに病室まで与えられていることがありがたい。

着るものから身の回りのものまでみんな支給してもらっていることがありがたい。

3度の食事にしても、ちゃんと栄養士さんがついてカロリーのあるものを食べさせてくれているのもありがたい。

何もかもが涙が出るほどもったいなくて、ありがたい。

このように感謝せずにいられない気持ちがあふれてきて、自然に手を合わせる心がわいてきたとき、初めて心の目が大きく開けてきたのであります。

そういう心で眺めてみれば、あれほど嫌っていた島が、まるで天国のように思えてきました。

海の水の清らかさ、波打ち際の美しさ、浜辺の松並木の枝ぶりのみごとさ。

また、小鳥の鳴き声も心にしみて、野に咲くタンポポやスミレの花は可憐で美しい。

何もかもがAさんを慰めてくれているようで、この島を天国とも思い、浄土とも思って、毎日感謝しながら暮らすようになりました。

心の中に不満のある時、悩みのある時、どうにも救われないショックのある時、この世界は真っ暗な地獄です。

しかし、ありがたい、もったいないという感謝の気持ちがわいたとき、心の目が開かれてこの世界がそのまま浄土となっていくのです。

(参照:「自己を見つめる-ほんとうの自分とは何か-」山田無文)

Aさんは、ハンセン氏病を患うという逆境の中で、見事に悟りを開かれたのです。