「繁栄の法則に学ぶ(ある清掃業者の話)
Aさんは、若い時、荒れた人生を送りました。
殺人以外は全部やったかもしれないと本人が言うほどグレた生き方をしていました。
父親がお酒とお金に狂い、母親を苦しめたことが大きな原因でした。
Aさんは怒りと不満、不平に満ちた少年時代を過ごしました。
勉強はせず、本も読まず、母親にどんなに心配をかけたか。
でも、母親がシャンと前を向いて生きていたおかげでAさんの芯はしっかりしていました。
Aさんは兄に助けられ、母親に癒され、20代に立ち直り清掃業を始めました。
その時、同じように学校を中退した若者、本が嫌いな者、人付き合いが苦手な学歴のない者を拾い上げて、働く場所を作りました。
そこで、集まった若者に、Aさんは次のように問いかけました。
「俺たちは漢字や英語が苦手、本もダメ、勉強は全くやってこなかった、社会の嫌われ者だ。何ができるかな。」
「社長、俺たちは大きな声なら出せますよ。運動系だから」
「よし、それで行こう。それしかない」
それで清掃車に乗って、運転席から呼びかけ始めたのです。
「おはようございます!」
「元気ですか。頑張りましょう!」って町中を走り回りました。
町の人々に、頭上から片っぱしに怒鳴っていたのです。
どうなったでしょうか。
「うるさい!いきなり頭の上から怒鳴るな」
「後ろから大声出すな。びっくりするじゃないか!」
町役場からも、
「Aさん、苦情がきてるよ。大声で声をかけるのはやめてください」
「でも、これしかないもんな。みんなに元気をあげる方法は」
めげずに1年余り続けた頃、
「弁当持っていきな」
「これ食べて」と果物をくれたり、役場からも「皆さんが、最近は元気もらったと言っているよ」などと言われ始めました。
彼らの、人々に元気をあげたいという純粋な動機が、人々の心を打ち始めたのです。
いつも清掃車(ゴミ収集車)を見たらゴミ袋を持って走ってくるお婆さんがいました。
ある日のことです。
「ばあちゃんなあ、俺たちも忙しいから、俺たちを見かけて袋を持って走るんじゃなく、日が決まっているから前もって箱に入れておいてくれよ」
「はいはい、わかったわかった。次からそうするよ」
と言っても一向に止める気配がありません。
ゴミ収集車を待っているかのように走ってきます。
「ばあちゃん、止めてくれと言っただろう。毎回、俺たちじっと待つ時間が惜しいんだよ!」
「ん~、実は・・・」
そのお婆さんは、10年前にご主人を亡くし毎日1人暮らし。
「私はテレビしか話す人がいない。あんたたちが週に1回、声をかけて相手にしてくれる。それが唯一の楽しみなんだよ。車を見て追いかけて呼び止める時しか、あんたたちは停まってくれない。前もって置いたら、あんたたちはゴミだけ持ってさっさと行ってしまう。だから私は一生懸命ゴミ袋もって走るんだよ。ごめん」
それを聞いたAさんたちは涙が止まりませんでした。
「申し訳ない。そこまで孤独の人がいるなんて思いもしなかった。自分たちは町を元気にしようと誓い合ったのに、自分たちの少しの都合で見捨てようとしていた。婆ちゃん、ごめん」と謝って、それからは自分たちからいろんな独り暮らしの年寄りに声を掛けることにしたのです。
「何か困ったことはないか」と。
(参照:繁栄の法則 その二)
ゴミ収集車に乗って、怒鳴りながら町中を走る行為は、最初のうちはクレームも多かったようですが、次第に町の人々に受け入れられました。
純粋な動機に基づいた行動は、継続することでやがて実を結ぶということだと思います。
京セラ会長の稲盛和夫氏も何か事業を始めるときは「動機善なりや、私心なかりしか」ということを自分に問うと述べておられます。