「水平開きノート」とは、真ん中が盛り上がることなく水平に開くため、紙面一杯を有効に使え、コピーを取りやすいなどの利点があります。

中村印刷社長の中村社長が制作に成功するまで、多くの人が製品化を試みたものの、手間やコスト、技術力を要するため、誰も実現できなかったノートです。

中村社長がこの「水平ノート」の制作に挑戦し始めたのは、69歳の時でした。

製本に針金や糸を使わないため、強度があってきれいにページが開く特別な接着剤が不可欠でした。

接着剤と名のつく物を手あたり次第に購入し、何百回もの試作を重ねました。

しかし、失敗ばかりが続き経費をかけてゴミを作っているようなもので、家族からは本業を圧迫しかねないと呆れられる始末でした。

試作品の中に偶然満足のいくノートができていたのは、挑戦開始から2年が経過した頃です。

「これで業界に革命が起こせる!」

中村社長はそう信じて疑いませんでした。

ところが、受注産業で古くから経営してきたので売り方がわからず、商品は日の目を浴びることはありませんでした。

その後、幸運にも全国規模の卸問屋から大量注文を受けたため、工場をフル稼働で数千の製品を作ったものの、次第に取引条件が変わり、卸価格を30%まで下げるよう要求されました。

それでは赤字になってしまいます。

挙句の果てには、先方の都合で契約を破棄されてしまいます。

量産能力、経営規模、実績、どれもが不足していた中村印刷は足元を見られたのです。

涙をのんだのはそれだけではありません。

銀行の融資交渉の際、中村印刷を見下した担当者の不手際により、厳しい審査を通った国の助成金を破棄せざるを得なくなりました。

中村社長は怒りに震え、「悔しい」の一言では表現しきれない憤りが全身を駆け巡りました。

奥さんはお金になるものはすべて売り払い、何とかやりくりしてくれていました。

しかし、3年間赤字が続き、2015年の年末に中村社長の会社に残っていたのは借金と8千冊の在庫だけでした。

両親が汗水たらして作った会社を中村社長の代で潰(つぶ)すわけにはいかない。

その思いで半世紀仕事に励みましたが、借金を抱える赤字会社を子どもに残すわけにはいきません。

奥さんと相談し、今ならまだ倒産しないで精算できるので、年明けに土地を売って借金を返済し、手元に残ったわずかなお金で静かに老後を送ろう。

中村社長はそう決断しました。

2016年の元旦、氏神様、両親の眠るお墓、中村社長の生まれた浅草の観音様にお参りをして、静かに自宅に帰りました。

すると、中小企業診断士から電話があり、HPのアクセスが急上昇しているとのことです。

原因がわからず戸惑う中、三が日が明けた途端に、電話やFAXで嵐のように注文が舞い込んできました。

8千冊が売れずに困っていたところに、1度に3万冊もの注文が来たのです。

毎日夜中まで手作業で作り続ける日々が続きました。

HPのアクセスが急上昇した原因は、中村社長と一緒に「水平開きノート」の制作に取り組んだ知人の孫がおじいさんの作ったノートが売れなくて困っていることをツイッターでつぶやいたことがきっかけでした。

2016年度の年商は前年の3倍、利益は11倍にもなりました。

小さな町工場で誕生した「水平開きノート」はその後特許を取得し、2017年11月からは大手メーカーと技術提携し、全国販売を開始しました。

中村社長は、これまでの人生を振り返って、次のように述べています。

「神様は真面目に努力している人を見捨てず、必ずプレゼントを下さる」と。

(参照:『致知』2月号より)

中村社長が、2016年元旦に氏神様、両親、そして浅草の観音様にお参りをしたことが、奇跡を起こすことに繋がったのだと思います。

神が人を見捨てることは絶対にないということです。