観世音菩薩とは
鎌倉円覚寺管長の横田南嶺さんが、観世音菩薩について以下のように解説しています。
観世音菩薩とは、なんであろうか。
仏教にはたくさんの仏や菩薩がいらっしゃる。
お釈迦さま以外の仏や菩薩は、お釈迦さまの悟りの内容と修行の様子を表したものである。
つまりは、仏さまの悟りの内容を様々な姿で表現したものといえる。
では、仏とは何であろうか。
決して多くの人が思うように「死人」のことを言うのではなく、また単なる仏像でもない。
恩師の松原泰道先生は、「仏とは真実の人間性」だと説かれた。
そして「自分の中に分け入って真実の人間性を開発するのが仏教」だと明示されている。
葛城の慈雲尊者には『人となる道』という著書がある。
仏道とは人となる道にほかならない。
人となるとは、「成人」ということである。
今日18歳成人説も提唱されている。
しかしながら、成人とは何か、改めて考えると難しい。
10代でもしっかりした子もいれば、40、50歳を越えても平気で非常識なことをする者すら多い世の中である。
成人とは何か、大人になるとはどういうことをいうのか。
「自分の行動や言動に責任を持つことのできる人」だと言われる。
最近、ある方が、大人とは「人の苦しみが分かる人」だと言われているのを知って感銘を受けた。
人の苦しみが分かる心とは、それこそ仏教で説く慈悲心であり、その心を具体的な姿に表したのが観世音菩薩でもある。
慈悲の「慈」とは、何かを与えたいと願う心であり、「悲」とは、人の悲しみ苦しみを見て、我が事のように思い、何とかしてそれを救ってあげたいと願う心である。
「観世音」の世音とは、世の音であるが、世の人々の声を表している。
苦しみ、悲しむ人たちの声である。
この「声を観る」のである。
「観る」ということは、単に目だけで見るのではなく、そのような声を全身で見て取ることである。
更には、声にもならぬ声を、全身で感じ取る、汲み取ることでもある。
「仏心とは大慈悲心なり」と『涅槃経(ねはんぎょう)』に説かれている。
(引用:『致知』2016年12月号より)