親の愛に似た神の愛
子どもと買い物に行って、子どもがおもちゃを買ってほしいとせがんだ時に親はすぐに買い与えるでしょうか?
お菓子を買ってほしいとせがまれた時に、親はすぐに買い与えるでしょうか?
もともと、クリスマスや誕生日が近いなど親に買おうという意志があった場合は、すぐに買い与えることもありますが、そうでない場合は少し我慢しなさいなどと言って、我慢することを教えるために買い与えないケースもあると思います。
子どもが大人になってから、お金が欲しいと言われた場合は、どうでしょうか?
事情を聞いて、やむを得ない場合は援助するし、そうでない場合は本人の努力を促すために断るこもあると思います。
安易に子どもの要求に応えることが、子どもを甘やかすことになり本人のためにならないようなケースは断るでしょう。
しかし、断った場合でも子どものことが気にかかり、行く末を見守りながら、最悪の場合は援助する心づもりをしておくでしょう。
日ごろ、私たちが神様と呼び、天と言う、目に見えない何か偉大な力も同じだと思います。
「神様お金をください」などという安易な神頼みは聞き入れらることはないでしょう。
なぜなら、神頼みをした本人のためにならないからです。
しかし、本人が一所懸命努力している時には、神様は援助をします。
このブログでも様々な人が逆境を乗り越えた物語を紹介していますが、一所懸命努力していると、ある時奇跡のような出来事によりその逆境を乗り越えていくのです。
これは、本人努力ももちろんのことながら、神様の援助なのです。
そして、神の存在、何か偉大な力の存在に目覚め、感謝の気持ちが込み上げてくるのです。
私たちは神の子です。
子を愛おしく思わない親がいないのと同じように、神様は私たち一人ひとりを愛し続けてくれています。
そして、私たち子どもの人間としての成長を願ってやまないのです。