神仏は尊ぶべし、頼むべからず(宮本武蔵)
宮本武蔵が吉岡清七郎との決闘に出向いた時の話です。
それまでに、吉岡清十郎、伝七郎と2人の兄弟が立て続けに敗れた吉岡道場の門弟は、清十郎の1子又七郎を押し立てて、宮本武蔵に試合を申し込んだのです。
事前に吉岡又七郎が数十人で徒党を組んで来ることがわかっていたので、さすがに宮本武蔵も、試合会場に向かう途中に八幡神社が途中にあったので、勝利を祈ろうとしました。
しかし、その時に自分がいつも「神仏は尊ぶべし、頼むべからず」と誓っていたことを思い出したのです。
そして、「どうして自分の祈りを神様が受けてくれるであろうか」と宮本武蔵は恥じ入りました。
結局、又七郎との決闘は宮本武蔵が機先を制することで、無事に勝利を収めることができました。
宮本武蔵はこの時のことを次のように語っています。
「人はいつも覚悟はしていても、いざという時になって心が変わらないというのは難しい事である。
自分は「神仏は尊ぶべし、頼むべからず」と誓っていたのに、危うく神様にお願いしようとした」
「神仏は尊ぶべし、頼むべからず」ということに、同感です。
わたしも神社にお参りする時は、いつもこれまでの感謝の気持ちを込めるだけで、神頼みはしていません。
神頼みをして、もし聞き入れてもらえるとすれば、それは自分の欲望を満たすような神頼みではなく、世のため人のためにお願いしたことではないかと思います。
自分の欲望を満たすだけの神頼みは間違いなく、叶わないと思います。
(参照:あの斎藤一人さんが「7回読みな」と勧めた「人生を創る言葉」)