昔、白隠(はくいん)禅師というお坊さんがいました。

その白隠禅師を尊敬している商人の娘がある時、身ごもってしまいました。

娘は白隠禅師の子どもだと言えば、父親に許してもらえるんじゃないかと思い、嘘をつきました。

それを聞いた父親は、娘に手を付けるとはとんでもない坊さんだと激怒し、赤ちゃんを抱いて白隠禅師のところに行き、「これはあんたの子だろう」と詰め寄ります。

白隠禅師は、ただ「ああ、そうか」とだけ言って、赤ちゃんを受け取りました。

父親はますます「やっぱりそうだったのか」と憤慨して、家に帰りました。

その後、白隠禅師がお乳をもらいに歩き回る様子を見て、娘が白状します。

「実は別の人の子どもなんです」と。

それで父親は平身低頭して白隠禅師に謝罪しました。

白隠禅師は、その時もただ「ああ、そうか」とだけ言って、赤ちゃんを返しました。

(参考文献:『致知』2017年5月号)

禅の修行により心が練れているのでしょうが、無実の罪を着せられても、怒ることなく「ああ、そうか」と淡々と受け入れてしまうところがすごいと思います。

まさに悟りの境地と言えるのではないでしょうか。

白隠禅師には私心というものがなく常に他人を思いやるだけで、ここでも赤ちゃんや娘さんのことを思いやり、ただ「ああ、そうか」と受け入れたのだと思います。

白隠禅師は、臨済宗中興の祖と称される江戸中期の禅僧です。