忍を懐いて慈を行ず
お釈迦様の実の子であり、弟子でもあったラゴラが、兄弟子のシャーリプトラとともに町を托鉢(たくはつ)していました。
その時に暴漢に襲われてラゴラがケガをしてしまいます。
兄弟子のシャーリプトラはラゴラに、仏弟子たるものは如何なることも耐え忍び、決して怒りを懐いてはならぬと説き聞かせます。
ラゴラも普段お釈迦様の教えを学んでいるので、
「はい、このような痛みは一瞬のものです。
むしろ危害を加えた彼のほうが、その罪の為に長く苦しむことになるでしょう。
気の毒なのは彼のほうです」
と応えました。
お釈迦様の元に帰った2人は、そのことを報告します。
お釈迦様はケガをさせられても決して怒らず耐え忍んだラゴラを褒めて、さらに「忍(にん)」のすばらしさを説いて聞かせました。
「忍は安宅(あんたく)為(た)り
(耐え忍ぶことこそ安らかな家である)」
「忍は大舟(だいしゅう)為(た)り
(忍は大きな舟のように、困難な世の中を渡ってゆけるものである)」
「世は怙(たの)むところ無し、唯だ忍のみ恃(たの)むべし
(忍こそがこの世の頼りとすべきものである)」等々
その中に「忍を懐(いだ)いて慈(じ)を行(ぎょう)ずれば、世々怨(うら)み無し。中心恬然(てんぜん)として終(つい)に悪毒無し」という教えがあります。
自分の身に降りかかったことは耐え忍んで、「むしろ自分に辛く当たる者こそ気の毒な者である」と、慈悲の心で思いやれば、どんな時代にあっても怨みの心は起こらないし、心はいつも穏やかで、悪いことは起こらないという意味です。
お釈迦様は、単に耐え忍ぶばかりでなく、むしろ相手を思いやる心の広さを説かれたのです。
(参照:『致知』2017年7月号より)
キリスト教の「右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ」という教えにも通じるものです。
私のような凡人にとっては、なかなか実践できることではありませんが、少しでもこの境地に近づけるように日々努力していきたいと思います。