先人の生きざま(塙昭彦さん)
イトーヨーカ堂の中国進出をゼロから立ち上げ、セブン&アイ・フードシステムズの再建も成功に導いた塙昭彦さんの幼少期の体験です。
私は幼少期から辛酸をなめてきました。
三歳の時に東京大空襲で焼け出され、山梨の田舎に疎開し、父親はその地で木工所を始めましたが、借金が膨らみ、家計は火の車に。
私は川で捕ったザリガニを茹でて食べたりして飢えを凌(しの)いでいました。
小学校三年生の時に、父親が借金取りから逃げるようにして家出し、私は一時親戚の家に引き取られ、家族ばらばらに暮らす寂しい生活を送ったんです。
その後、父親が戻ってくると、当時流行っていた映画館を茨城で経営するようになりましてね。
すごく繁盛していたんですが、六年生の時、映画館が放火され、自宅を含む近所の二十数軒を焼く被害に遭ったんです。
借金だけが残って、父親はどこかへ行ってしまった上に、母親が脳溢血で倒れた。
その後遺症で左半身不随、言語障害、麻痺を抱え、寝たきりになってしまったんです。
私は中学二年の時から母親が亡くなるまでの十三年間、ずっと面倒を見ていました。
学校に通いながら掃除や洗濯、料理、すべてやる。
親戚から援助はあったものの、お金が足りない時は新聞配達をして生活費を稼ぐ。
そういう生活の中で、私はこんなどん底はないなと思ったんですね。
ところが、母親は「そんなことはないよ」と。
「上を向いたらきりがない。
下を見てもきりがない。
おまえはまっすぐ前だけを向いて歩きなさい。」
それから、「どんな時でもくよくよしたらいけないよ。
辛い時でも、今が一番辛いと思っちゃいけない。
嬉しいことだってきっといっぱいあるんだから、へこたれるな。」
母親は小学校も卒業していない人でしたけど、こういうことをいつも言っていました。
(引用;『致知』2016年12月号より)