仏教は死者のためのものではなく、あくまでも生きている人を救うものでなければならないと、山田無文師は述べています。

日本で葬式を重視するようになったのは、孔子の教えである儒教が入ってきてからです。

儒教では、死者に仕えて3年の喪に服し、1年の法事、3年の法事を営みますが、その孔子の教えが日本に伝えられて7年の法事が始まり、さらには13年、17年、23年、27年、33年、50年、100年と死者追善の法要を営むようになってきたとされています。

祖先を崇拝し、供養することは決して悪いことではありませんが、それが仏教だと思っては大変な間違いだと山田無文師は続けます。

仏教開祖のお釈迦様は亡くなった人の葬式など一度も行いませんでした。

あるとき、万が一のことを考えて、弟子の阿難尊者がお釈迦様に亡くなった後の亡骸をどようにすればよいか尋ねました。

お釈迦様は、信者に任せておけばよいと言って、弟子には自分の葬式をさせませんでした。

仏教とは、葬式を行うことではありません。

いまこの世を生きている人間を救っていくことが仏教でなければなりません。

また、浄土真宗開祖の親鸞聖人は歎異抄の中で、次のように述べています。

私は、亡くなった両親への追善供養のためと思って、念仏を称えたことは一度もありません。

自分の父母の供養のために念仏を称えないのは、すべての生あるものは、生まれ変わり死に変わりするうちに、いつかは父母となり兄や弟となった人達です。

他人などひとりもいません。

自分が早く仏となって、どの人もこの人もみな救ってあげなければならないということです。

だから、位牌に向かってお経を読んでも意味はない。

亡くなった人のために念仏を称える必要はない。

この社会にいま生きているみんなが、わが親、わが子、わが兄弟だ。

亡くなった父母も、すでにこの世に生まれ変わって生きているかもしれない。

そういう人たちすべてを救っていかねばならないのだ、と親鸞聖人はいわれました。

(参照:「自己を見つめる-ほんとうの自分とは何か-」山田無文)