この文章を読んで何かを感じ取ってもらえばと思い、引用させていただきました。

若いころ、私にはたった一つ、これだけはどうしても欲しいというものがあった。

他でもない。

それは自分に生きている値打ちがあると思えるもの、すなわち、存在価値だった。

私は脊柱側弯症(せきちゅうそくわんしょう)という障碍をもって生まれた。

そのため長じても腰骨は曲がったままの状態で、中学校卒業と同時に社会に出るも、仕事に就いてはしばらくすると体を壊してしまうことの繰り返し。

次第に体力も衰え、最後に勤めていた会社にはずいぶんと事情を酌んでもらったものの、これ以上は無理だと決心。

職場復帰を断念したのは昭和58年、32歳の時のことだった。

体力もなく、働くこともできない。

が、身の回りのことは自分でできるため、「障害基礎年金」の受給対象には当てはまらない。

となれば、行きつく先は両親に食べさせてもらって、生き永らえるだけの人生となろう。

自分には生きる値打ちがないのではないか。

そんな思いに押しつぶされそうになりながら何とかそれまで生きてきたが、もはや社会に迷惑をかけ、両親に心配や苦労をかけるだけの存在としか思えなくなった。

せめて自分にも存在価値があると思えるものが一つでもあれば、たとえゴミを漁(あさ)ってでも生きていける。

思いはその一点に集約されていった。

当時、「親亡き後」に苦悩する障碍者家族の心中や”子殺し”が報じられ、この種の事件が起きた時、世間からは「可哀そうに」との声とともに、「ああいう子は、生きていてもどうしようもないから、いま死んで幸せだった」と、囁(ささや)く声も聞こえてきた。

その声は、私の心にいたく刺さった。

しかし、世間が言うように、死んだ方が本当に幸せだったのか。

いや、そんなはずはない。

それはあくまで健常者の見方であって、障碍者(家族)の思いは違うところにある。

そう言えるのは、少なくとも私には自ら命を絶つことができない確かな理由があったからだ。

私の体型や歩き方が珍しかったからだろう。

小学校入学と同時にからかわれ始め、学年が進むにつれ、低学年の児童にもからかわれるようになると、みじめで仕方がなかった。

辛くてどうしようもない日には田んぼや畑の中を回り道して、涙が止まったら井戸で顔を洗って帰宅したりしていた。

親には心配させたくないので、そうした思いを一人で抱え込み、自殺を考えるようになったのは、4年生になった頃からだったと思う。

あれは、ひどく落ち込んだ小学6年の中秋の名月の日。

回り道をして、涙が止まってから家に帰ると、野良仕事を早仕舞いして帰った両親が、上がり口でお茶を飲んでいるところだった。

すると、やっと止まっていた涙が再びあふれ出て、止まらなくなってしまった。

心配する両親を横目に、私は部屋にこもって泣き続けた。

しばらくして涙が止まり、家の横の池でお供え用の芋を洗っていた母のもとに行くと、「何があったん」と優しく問い掛けられたので、ポツリポツリと話した。

黙って聞いていた母が「ほうじゃったん。難儀だったなあ」と言いながら池の水を汲もうとうつむいたその時、向かいの山から見事な満月が顔を出し、スポットライトのように母の横顔を照らし出した。

それは、私が生まれて初めて見る母の涙だった。

「人を泣かせるようなことをしてはいけない」と、折に触れて諭(さと)してくれていた母を泣かせてしまったショックに、12歳の私は何もすることもできなかった。

が、心の中で固く誓ったのは、「これから先は、何があっても自分のことで母ちゃんを泣かすことだけは、絶対にせん」という一事だった。

以来、あの時の母の涙と、「私が死んだら母ちゃんが泣く」の思いが、私を自殺から引っ張り続けてくれた。

いじめや差別に苦しみながらも自立を目指し、36歳で無職、無年金の障碍者に余儀なくされた時、「障碍者は本当に役に立たんのじゃろうか」という、思いもかけない発想だった。

同じころ、地元で起こった重度障碍者の親子心中に、障碍者と健常者双方が本音を出し合える場を作ることが今の自分にできることで、この種の事件防止になるものではないかと考え、37歳のとき季刊誌「秘めだるま」は誕生した。

当時、手元にあったのは、失業保険がほとんど。

資金が底をついたら、その時こそ、命を絶ってもいいと覚悟を決めての船出だった。

読者からの、「頑張って!」「ずっと読ませてください」の声に励まされ、いつしか自分にも「頑張って生きる」値打ちがあるらしいことを自覚。

たった一つの欲しかった存在価値を、私は手にしていたのだった。

それは単なる自己満足だったかもしれないが、それが私の使命となり、2018年で創刊から35年目を迎える。

(引用:『致知』2月号より)

障碍者として生まれ、これまでに数多くの辛い経験をされながらも、それを乗り越えてきたこの方の心の強さには頭が下がります。

この方の生き方に学ぶことは多いと思います。